浅草にある割烹家「一直」
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歴史
明治十一年の創業以来、伝統の日本料理を提供して参りました「一直」の歴史は江戸時代にまで遡ります。
初代・鳥屋の直次郎は、「鳥松齋貞一直(ちょうしょうさいていいっちょく)」という号で生け花の師匠をし、埼玉県の鴻巣で茶店を営んでおりました。その後、2代目江原惣八と3代目の惣八は明治初期まで鴻巣〜熊谷のルートで「駅馬車」を経営。明治11年に当時の東京の中心地、浅草にて「奥山の一直」として料理屋を始めます。桜の名所であった事にちなんで看板料理は「桜豆腐」、浅草の観音様へのお参りに、桜豆腐とお酒で一服するのが粋と評判を呼びました。
大正から昭和と4代目松三郎の時代になると、庶民的な店だった「一直」も各界の著名人が顧客に名を連ねる高級料亭へと変遷していきました。
関東大震災とその後の大火で店舗は2度焼失しましたがその都度建て直し、料理人が40人、従業員を100人も抱える、浅草でも有数の大きな料理屋と称されるようになり、4代目は料亭、置屋、芸妓の三業組合の仕切りも行うなど、その隆盛を極めていました。太平洋戦争後は「これからは、自分の納得できる仕事をしたい」という思いから、規模を縮小して営業を再開させました。
関西料理の修業を積んだ5代目江原林造は、江戸時代から続いた東京の江戸前料理が下火になる中で、「関西風」の要素を取り入れ、「一直」の料理に改革をもたらします。
6代目江原仁も関西で3年間修行、オーストリアのウィーンにある日本大使館への3年間の赴任を経てフランス料理やドイツ料理も学び見聞を広めました。その後料理店店主の勉強会である全国組織「芽生会」会長、「全国料理環境衛生同業組合」の副組合長を歴任し、日本料理界の発展に貢献してきました。
東京が誇ることができる江戸時代から伝わった料理の技、そして「一直」の伝統は、現在もなお受け継がれています。

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